小説

□この世界は私欲と一握りの犠牲で生きている
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夜空に煌めく星屑が眩しいくらいに輝いていた。薄暗い森では充満した血の匂いが鼻をつき、私の嗅覚を狂わせている。周りには数体の死体が私を囲むように地に伏しており、酷く不気味な雰囲気を纏っていた。まるで恨みの念を込めているかのように、彼らの光のない目玉はじっと私を見つめているような錯覚に陥る。言うまでもない、この場にいる者全てを私自らが殺したのだから。憎まれても仕方のないことだと思う。呪うならば呪えばいい。だが、この者たちと私では背負うモノの重さが違うのだ。私は死なん。あの方をお護りする為に、私は負けられぬ。その為に私は生きたい。それでも私の命を狙うと申すなら。そして、あの方の命を狙うと申すなら。次は貴様たちの魂を捌いてやろうぞ、と小さく毒を吐いた私。その声を聞く者は誰もいない。

屍共の中心で私は一人、仰向けに倒れていた。月光に照らされた己の傷口からは今も真紅の体液が滴り、地に咲く草花を赤く汚していた。そう、先程までの戦禍が嘘のように。この場は静寂に満ち満ちている。
 
「……くっ、」

腸のズキズキとした鈍痛から気を紛らわそうと近くの屍に視野を落とせば、生気のないその屍が嘲笑うかのように私をずっと見ている気がした。死んでまで私を見下そうとする、その瞳が不覚にも綺麗だと思ってしまったのはきっと気のせいだろう。その屍の胸に刀剣が突き刺さっている姿は、あまりにも滑稽で傑作だ。人はなんて醜いのか、同時になんて美しいのか、無垢にそう思っている私は随分と神経が麻痺しているのだろう。逃げる側の人間と追う側の人間。それはまさに弱肉強食のような世界。それが私の生きるべき場所であったから。慣れ、というものは本当に恐ろしい。

人という生き物はどうして、こんなにも殺したがるのか。言わずとも、それは生き延びる為だ。なによりも大切なお方を護る為なのだ。だから私は戦わねばならない。殺さねばならない。私は己の心を、殺さねばならないのだ。

「っは、……若は、ご無事なのか…?」

私は朦朧とする意識に気を失いそうになるのを必死に堪えていた。幸いなことに急所は外しているが、腸の傷口から血は止まることを知らずにポタポタと地面に滴り続けている。そのザマを見て、私はゆっくりと空を見上げた。
 
此処は亡骸の異臭が漂うばかりで、この匂いが私の肺に出入りしていると思うと実に不快だ。まるで身体の中を侵蝕されているような感じがしてならない。見上げた空の月は雲と生い茂る木々で隠れてしまい見えないが、吹き荒れる風によって木の枝から生えた葉が互いに擦れて辺りはざわざわと音を奏でている。そして風が止むとその音も止み、また一層に静けさが増した。しんと静まったこの場所。途端に私はこのまま死んでしまうのかと嫌な思いが脳裏をよぎる。込み上げる虚しさと自分の無力さに、ただ苛立ちだけが残る。無意識に手元に生えていた草を力強く握った。

と、その時。

「ランファン!」

待ち望んだ若の声が聞こえた。

「若……。お怪我、は?」

「大丈夫だ、」

「ご無事で、なによりです……」

若の服には赤かったであろう血痕が既に黒く変色し、点々と斑模様になっていた。血が付着してから大分時間が経っているのだろう。そうすると、今まで若はこの広すぎる森の中で私を探して下さっていたのだろうか。

「………本当にすまない、ランファン」

「っ!そんなに辛そうな顔を、しないで下さい。若をお護りすることが、……っ私の、使命なのですから」

「もういい、喋るな。傷が開くぞ」

「………若。どうして、」
 
どうして泣いているのですか?そう言おうと声を絞るが出る筈もなく、血まみれの私は若が生きていた安堵からかふっと意識を手放した。意識を失う前、覚えているのは若の温もり。そして頬に伝わる涙。結局、若が溢した涙の意味を知るわけもない私に報われる心など何処にあろうか。そんなもの、あるわけがない。否。あってはならないのだ。

「少し休め、ランファン」

………あの時、私は純粋に死にたくないと思った。生きたいと思った。生きて生きて生き抜いて、若に、ただ会いたいと思った。その為ならば敵の喉を捌くことなど容易いことだとも思ったのだ。そんな歪んだ精神の私に報われる心など何処にあろうか。そんなもの、あるわけがない。否。あってはならないのだ。この先もずっと、この身が果てるまで私は主に忠誠を誓い続けるのだから。

けれど、けれど。今だけはどうか。自惚れることをお許し下さい。若の優しさに触れることを、どうか許諾して頂きたいのです。今はただ、若の傍らに居させて欲しいだけなのです、と。そして願わくば目覚めた時、若がお側に居られますように、と。朦朧とし次第に遠くなる自我の中、頭の片隅でそう呟きながら私はプツリと糸が切れたかのように深い眠りについたのだった。




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