小説

□譲る気はないから諦めなよ
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昨夜から降り続けていた雨は今夜も地を濡らし続けていた。窓辺には雨粒が吹きつけ、硝子を雫が伝う。また、風によってガタガタと耳障りな音が鼓膜を刺激して少しばかり煩い。それに雨の日独特の、土に似た匂いが僕の嗅覚を霞めるもんだから実に不快だ。

そんな僕を更に不快にさせているモノは少し離れた場所に居座る鋼のおチビさん、の所有物。

「おい、エンヴィー。ジロジロと見るのは止めろ。俺は見せ物じゃねぇ」

「あーらら。バレてた?」

「バレバレだ。つーか、お前の視線が俺の顔面にグサグサ刺さって痛ぇんだよ」

先程まで散々雨に打たれていて、尚且今もずぶ濡れのままのおチビさんはそう言って目線を手の平の中にいる生き物へと移した。その目線の先には紛れもない、生きた小鳥。チュンチュンと鳴くソイツの身体は泥まみれな上に小汚くて実に醜い。何故そんな経緯になったのか、と問われれば原因は全て目の前にいるおチビさんにある。在ろうことかこのおチビさんは道端でこの泥まみれな上に小汚くて実に醜い生き物を拾い、この部屋へと持ってきやがった。どうやら要らないお情けをかけたらしい。どうして拾ってきたのか理由を尋ねると、エンヴィーに似てたからだ、の一点張り。コイツが僕に?絶対に嘘だ。
 
「で、どうするの。この鳥」

「どうするって、そりゃあ怪我してるんだから手当てとかしなきゃダメだろ」

「……飼うってこと?」

「いや。飼う、というかコイツの怪我が治癒するまで面倒みる」

「それ本気?」

「ん、本気だぜ。俺は、」

助けてやりたいんだよ、コイツを。衰弱してるけど怪我は大したことないみたいだし、ほんの一週間だけでいいからさ。エンヴィーは嫌、……なのか?

そう言って悲願するおチビさんの目に僕は断るわけにもいかず、首を縦に振るしかなかった。正直、僕は鳥の面倒をみるなんて反対だったけど。だって、だってさ。こんなちっぽけな生き物の面倒をみたところで僕に見返りはないことは目に見えているし、それにおチビさんがこの鳥の面倒をみることになったら僕の立場はどうなる?きっとおチビさんは鳥の世話に夢中になってしまうだろう。よって僕は蚊帳の外。そんなの本当に勘弁してほしい。おチビさんは僕のなのに。いい迷惑だ。できることなら断りたかったさ、切実に。でも、仕方ないじゃん。おチビさんのうるうるとした子犬のような瞳を見たら断れなかったんだから。本当に僕ってトコトンおチビさんに甘い。そして弱い。おチビさんの前だとどうしても頭が上がらないんだもの。僕はおチビさんに気づかれないように、はぁ、と小さく溜め息を溢した。

相も変わらず外は土砂降りで一向に止む気配はない。ああもう、ホント憂鬱だ。

「……ちゃんとお世話しなよ。僕も手伝ってあげるから」

「おう!エンヴィーならそう言うと思ってたぜ、俺。ありがとなっ」

「はいはい。どういたしまして、」
 
両の手を腰にあてながら呆れてそう言った僕だけど、本心はおチビさんが笑ってくれて凄く嬉しかった。にっこりと喜ぶおチビさんの表情を見たら、やっぱり反対しなくて正解だったかも、なんて思ってしまう自分が憎らしいくらいだ。どれだけ調子のいい思考回路なんだ、僕の頭の中身は。

と、そこである疑問が浮かぶ。

「ねぇ、おチビさん」

「ん?」

「名前、つけないの?コレに」

「コレってお前……。まあ、そうだな。名前はつけねぇけど」

「どうして?」

「愛着が湧くからだよ」

「あいちゃく?」

「そ。愛着」

おチビさんに聞くと、愛着というのは手放したくない気持ちや心に惹かれて思い切れないこと、ふんぎりがつかないことを言うらしい。愛着、愛着かぁ……。もしかしたら僕がおチビさんのお願いを断れなかったり、嫌われたくないと思ってしまうのも愛着があるから?

そんなことをぼんやりと考えていたが、ふとこの感情は愛着と呼ぶよりももっと深いところにあるんじゃないだろうか、と思えてきた。確かにおチビさんを手放したくないと思うし、心に惹かれるところもある。だけど。僕がおチビさんに寄せる気持ちはその程度じゃない。もっとおチビさんを理解したいし、近づきたい。そして触れたい。それにおチビさんも僕と同じ気持ちだったらいいのに、なんて思ったりもする。きっと、この気持ちの本当の意味を知るのは遠からず近からず、ってところだろう。僕にはそんな確信があった。ただそれは今じゃないだけで、

「じゃあさ、早速でわりぃんだけど一つ頼んでいいか?」

「あ、うん。何?」

「コイツを風呂場に連れていって汚れを洗い流してやってくれ。できるか?」

「簡単簡単。それくらいできるって」

おチビさんは手の平にいる鳥をそっと僕に手渡す。僕の手の上に乗ったソイツは思っていたよりも凄く軽かった。けれども、その時の小さな目玉は生きようとする奴らの眼光に酷く似て、……いっ!

「ったぁ…!」

「あ、噛まれた?平気か?」
 
「うん、思いきり噛まれた。見てコレ。血が出たんだけど。最悪」

前言撤回。まるでコイツはおチビさんに触れるな、とでも言っているかのように僕の指に噛みつきやがった。いや、噛まれた傷口はあっという間に塞がったけど。ついでに言うと傷痕すら残ってないけどさ!なんだろう、うん。この鳥全っ然、可愛くないし生意気だ。そんでもってコイツ、僕にそっくりだ。特に根本的な性格が。さっきおチビさんが言っていた理由が今になって分かった気がする。

さっきまで降り続いていた雨はいつの間にか止んでいた。けれど、窓辺からは闇夜の中に映える月がよく見えていることに僕たちは全く気づかなかった。

「………じゃ、洗ってくるね」

「あっ!そうそう、傷口は手で擦っちゃダメだからな!」

「大丈夫、分かってるよ。責任持つから安心して?この鳥を洗って傷の消毒が済んだら、今度はおチビさんを隅々まで洗ってあげる」

「ばっ…!調子のんな、アホ!」

「だっておチビさん、ずぶ濡れじゃん。風邪ひいちゃうでしょ?」

「俺はガキじゃねぇ!」

後ろからおチビさんの罵声が飛ぶが、気にせずに手中の小鳥を綺麗に洗ってやろうと僕は風呂場へと足を運ぶ。言っておくがこれは優しさなんかじゃないし、慈しんでいるわけでもない。おチビさんのために仕方なく洗ってやるんだ。耳を傾ければリビングから聞こえるおチビさんの声はいつもよりも幾分、弾んでいるように思える。

浴室には水の流れる音だけが響いていた。手に伝わる水の冷たさに、蛇口を捻り温度を調節する。そして、冷たくもなければ熱くもない温めの温度にすると、コイツにシャワーを当ててやる。シャワーを浴びたところからコイツの身体に染み込んでいたものが茶色く流れ出てきた。それはタイルを伝いながら排水口へと消えていく。すると、今まで灰色だったコイツの羽は段々と純白の白へと変わっていった。暫くシャワーに打たれていると不意にコイツは僕の顔を一目見て、チュン、とだけ鳴いた。ふん、お前におチビさんは渡さないよ。




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