小説

□私は救いを求めていた
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怖いなんて思ったことはない。恐怖を感じたことなど一度もないからだ。楽しいなんて思ったこともない。話相手なんて私には最初からいなかったし、笑おうとしたことなど一度もないからだ。苦痛なんて感じたこともない。怪我をしたことなど一度もないし、誰も私を傷つけようとはしないからだ。まして、悲しいなんて思ったこともない。私には失うものなどなかったし、周りの者がどうなろうが構わなかったからだ。全てが私を否定していることは分かっていたが、だからと言って私は全てを憎むわけでもなかった。ただただ、私はこの暗い小部屋でつまらぬ毎日を生きていた。

「ホムンクルス、」

……そう、私の名を呼ぶこの人間に会うまでは。以前の私は魂のない傀儡のように淡々とした日々をそれとなく過ごしていた。そんな時だ、ホーエンハイムに出会ったのは。特にこの男が感情の赴くまま、幼い子供のようにわんわんと哭声をあげながら泣いた日。あの日の出来事が今も私の胸を震わせ、気づけば沸々と噴く卑しい感情に私は呑み込まれていた。私はこの人間が欲しい。この人間の全てが欲しい。手を延ばせば届く距離にいるホーエンハイムが、欲しい。今すぐにでも手中に納めてしまいたいほどに。
 
「……なんだ?」

「お前、最近なんか変だぞ。一人でにやにやしたり、そうかと思えばぼんやり外を眺めたり。今だって、」

「関係ないだろう。私が何を思っていようが、私の自由じゃないのか?」

私はホーエンハイムの言葉を遮断し、冷たく言い放った。そう言ってしまえば、ホーエンハイムは私に反論することはできないと分かっていたからだ。低俗な人間に興味など塵ほどもないが、目の前にいるこの人間の場合は話が別だ。今のホーエンハイムの表情といったら、悔しさと悲しさを混ぜ併せたような顔をして私を見ているのだから愉しくてならない。ホーエンハイムの心を歪ませたのは紛れもない私なのだから当然だ。そして、その目玉には私しか映っておらず、同様に私の目玉にもホーエンハイムしか映していない。それが尚更、私の心を更に揺らしているということに目の前の人間は微塵も気づいていないだろうが。実に滑稽な有り様だ。私は小さく嘲笑する。

「くくっ、」

「………何がおかしいんだよ」

「生憎だがそれは言わん」

「本っ当に、意地が悪いな。お前は」

しかし、それにしても。これほどまでにおかしいことなど、私が生きてきた中であっただろうか。いや、一度だってなかった。それもそうだ、この人間を除いては誰一人として私に近づこうとはしなかったのだからな。

「なあ。お前さっきからどうしたんだ?もしかして、俺が気に障るようなことをした、とか?」

「私は欲しいだけだ。なのに。お前は何も分かっていない」

「欲しいって、何が欲しいんだよ?言わないと分からないだろ。ホムンクルス」

その先の言葉は喉元でぐっと抑え、私は沈黙を決めて口を閉ざした。此処で言ってしまえば私の計画は全て水の泡になってしまう。それは是が非でも避けたい。

「……まだ、教えるには早い」

「何だよそれ」

「知りたいか?私の欲するモノが」
 
「そりゃあ、まあ。知りたいけど?」

「そうか、」

私はこの部屋にある小さな窓辺に腰を下ろし、この場所から見えるクセルクセスの国を一目眺めた。この国の人口はどれくらいだろうか?何百、何千の人間が在るのだから、少なくともこれだけの命を喰らえば神まではいかないだろうが、絶対的な力を手に入れることができるのは明らかだろう。それを決行する日は、近い。そうしたら、ホーエンハイム。お前は私にどんな表情を見せてくれるんだろうな?私は今からそれが酷く愉しみで堪らない。

「いずれ、だ」

「ん?」

「いずれ分かる。私が何を欲しているのか、お前に教えてやる」

「分かった。約束は守れよ」

「ああ、守ってやる」

言われずとも守ってやる、ホーエンハイム。そうでなければ面白くもない。お前が壊れていく様を私に見せろ。恨みたくば私を好きなだけ恨めばいい。憎めばいい。そうして、いつか。私を殺しに来い。そのためにホーエンハイム、お前にも私と同等の力を与えてやる。永遠を与えてやる。賢者の石をお前に与えてやる。………だがな。私が世界を手に入れ、神と呼ばれる存在になった時、お前は全てを委ねて私のモノになれ。ああ、そうだ。それまでの自由と猶予もやろう。全ては私の望みを叶えるために、な。
 
「お前が話すその日が楽しみだなあ」

「奇遇だな。私もだ、」

怖いなんて思ったことはない。恐怖を感じたことなど一度もないからだ。楽しいなんて思ったこともない。話相手なんて私には最初からいなかったし、笑おうとしたことなど一度もないからだ。苦痛なんて感じたこともない。怪我をしたことなど一度もないし、誰も私を傷つけようとはしないからだ。まして、悲しいなんて思ったこともない。私には失うものなどなかったし、周りの者がどうなろうが構わなかったからだ。全てが私を否定していることは分かっていたが、だからと言って私は全てを憎むわけでもなかった。ただただ、私はこの暗い小部屋でつまらぬ毎日を生きていた。

そして、ただただ私は孤独だったのだ。




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